1:トカラ遠征記・ギプスの理由

 

院1年の春、「ミナミヤモリの体サイズ」に関する研究を行うことになった私は、手元にあるヤモリ液浸標本の体サイズをノギスで延々と測り続けるという作業に没頭していた。手持ちの標本をすべて処理し終えた私が、追加の標本を頂きに戸田さんの下へ行った際に、「ここらで刺激的なやつを」と手渡されたヤモリの液浸標本は異常に巨大だった。「この子らでっかいっすねえ」「その言葉を聞きたかったんだよ」ニヤリと笑う戸田さん。私はその笑みにフト不吉なものを感じたが、マー気のせいだろうなと納得して標本瓶を受け取ったのであった。トカラ列島。この琉球弧の北端近くに位置する島嶼群は、周囲から隔絶された独特の環境であり、その名を冠した「トカラギャップ」という地理的分断線を内包する。地理的にも生物学的にも重要な土地なのだが、実際にそこを訪れたという人はごく少ない。「中之島」とラベルされた標本瓶をノンキに眺めていたその時の私は、将来の自分がその島に上陸して採集を行い、コラムまで書く羽目になるとは夢にも思っていなかった。

 解剖による産卵数査定という新たな手法を試すにあたり、体サイズの大きな個体群由来の新規ミナミヤモリ標本が必要になったので、その採集の為にトカラ列島中之島を訪れることになった私は、大変イライラしていた。船が出ないためである。フェリーとしまは、鹿児島と奄美の間を往復している連絡船であり、トカラ列島へ移動する手段はこれの他にない。時おりしも台風の季節、フェリーとしまは欠航遅延を重ね、当初予定していた出発予定日から10日もずれ込んでいた。しかも自然環境のことであるから当然ではあるのだが、いつ出航できるのかという答えがフェリー側に連絡しても全く得られない。出発を目前に鬱々とする私。しかしこれはこの後に待ち受ける物事からすれば、まだまだ序の口、ジャブの段階に過ぎなかったのであった。中之島は歩いてでも頑張れば一周できてしまう、美しく小さな島であるが、この島なかなか侮りがたい。まず妙にアップダウンが激しい。特に島の中心部近く、山周辺は、なだらかながら延々と登り坂が続く。フィールド系研究者には、肉体的疲労がダイスキという生物学的に奇妙な特質を持った人種が一定の率で存在するが、私はそうではない。疲れる事はダイキライである。更に、この島ではほとんど動物が見られない。そもそも生息個体数が多くないのか、イタチが移入されているためなのか、あるいはその両方なのか。とにかく動物がいない。この時の滞在中に、観察できた脊椎動物はヤギとリュウキュウカジカガエルとイタチ、何種類かの鳥類のみであった。歩けども歩けども我がフィールド楽しくならざり。ぢっと手を見る。汚い。その代わり、本来の目的であるミナミヤモリはウジャウジャいる。沖縄本島におけるホオグロヤモリぐらいウジャウジャいる。このサイトを見るような方ならご存知かと思うが、ミナミヤモリというのは基本的にシャイなヤモリである。沖縄本島や奄美大島では、林内や廃屋など、少し人里離れた環境に引き篭っているはずのそれが、その辺の木にベタベタくっついている。探すまでもない。この島の何がミナミヤモリを大胆ならしめているのだろうか。驚くべき現象であった。そして私はこの島で、更に驚くべき現象に遭遇した。島中で出会う人が全員私の素性を知っていたのである。私は研究対象と同じくシャイであるから、出会う人誰とも積極的に話そうという意志はないし、そんなに多くの人に滞在目的を伝えた覚えもないのだが、「ヤモリを取りに来た子がいる」という情報が島中に広まっており、会う人会う人躊躇なく話しかけては、情報を提供してくださる。この頃の私は大変要領の良くない生き物であったので、採集といえば夜間のものだと何故か頑なに思い込んでおり、日が暮れると同時ぐらいに出かけ、明るくなるまで延々と移動しながら採集を行うという、人類との接触を拒むような活動を主としていた。夜中に現れる知らない人、見れば片手にハタキ棒、腰にポーチと謎の袋を括りつけ、足は長靴まとうはカッパ。これだけ奇怪な様相の人間に、皆さん優しく接してくださり、なぜか飲み会に招かれてゴハンをご馳走になったりもした。これはとてもありがたい事なのだが、社交性が病的に欠落した私には大変難しい状況だった。「ヤモリ取りに来た子だろー?***に泊まってんだろ?メシうまいだろー?」「アッ……ハイ(目が泳ぐ)」「***(聞き取れてない)の壁にいっぱいおるよー、行ってみなー」「アッ……アリガトゴザイマス……(聞き返す勇気はない)」私の文章はうまくないが、これは単純に文章力が足りていないためではない。そもそも私という人間は、人語に不自由なのである。「なあ……私やっぱりヒトとしてダメかな?」採集終了直後の早朝、誰もいない温泉(この島の温泉は自由に入れるのだ)に浸かりながら、迷い込んできたフナムシに話しかける私。はじめて自ら会話を持ちかけた相手が、非人間であるという時点でこの問には答えが出ている気もしないではない。初対面の相手に突如深刻な悩みを打ち明けられたフナムシは、困惑したように触角を蠢かすばかりで、黙して答えなかった。

 さて、舞台は中之島から小宝島へ移動する。ミナミヤモリのいないこの島に上陸したのは、ミナミの近縁種であるアマミヤモリを採集せんがためである。トカラギャップを超えたとはいえ、環境はそれほど変わらぬだろうに、この島にはものすごく動物の影が濃い。船を降りた途端、どっちを向いてもトカゲトカゲトカゲ。陽だまりでバスキングしているオトナ、餌を探して走り回るまだ尻尾の青いやつ。わあーい動物がいっぱいだ。中之島でヤモリ以外の脊椎動物をほとんど目にしなかっただけに、この遭遇はうれしくて仕方ない。これだけたくさんのトカゲが棲める島ならば、固有種トカラハブの生息環境だってきっと少なくはないだろう。美しいこのハブを是非この目で見たい。なんなら触ったり撮影したりしたい。逸る気持ちを胸に、最初の採集に出る私。こちらの島にもやはりヤモリはウジャウジャしている。私は奄美大島にも行ったことがあるが、その時見たアマミヤモリは、ミナミヤモリとそう変わらないシャイなヤモリ、つまりは陰性の目立たない種だったと記憶している。これらGekko属が他の島で日陰者の地位に甘んじているのは何故なのだろう。中之島と小宝島に共通する要素とは一体?そのような学術的思考や、先ほど食べた宿の味噌汁に浮かんでいたムシについてなど、様々な事象に思いを巡らせつつ散策していると、白っぽいヘビがでろんと道に横たわっていた。おおっ!トカラハブ!ムードもへったくれもない遭遇であるが、これはまたとないチャンスである。観察させてもらおう。そしてあわよくば触らせて写真撮らせてもらおう。不穏な気配を察したのか、テキは素早くソテツの茂みに潜り込んだので、慌ててまだ出ている胴体を押さえる。顔を出してくれなければ写真も撮れない。そのまましばし引っ張り合いをしたが、先に根負けしたのはこちらだった。まあ、今日はこの辺で勘弁してやるとしよう。リュウキュウアオヘビも見られたし、ヤモリもたくさん取れた。トカラハブにしても、一日目で見られたならまだチャンスはあるはずだ。後々この甘い判断を後悔するハメになるのだが、その時の私はそんなことなど知る由もなかった。

 翌日。疲れたので宿でボーっとしていたら、なんか花火の音がした。そういえば今日は小学校で運動会があるって聞いた気がするなあ。ちょっと顔出してみよう。そんな軽い気持ちで小学校へと向かう。道すがら、やっぱりトカゲがいっぱい見られてうれしい。運動会に来たと行っても、特に目的があったわけではない。この際腰を据えてボケーッとする事に決め、極めて不真面目に観戦を始めた。ふーん、縄ない競争ですか。この島の人ってみんな縄がなえるんですか。すげえや。え、徒競走に参加しろって?私に?運動会とか高校以来ですけど?社交性の低い人というのは、頼み事をなかなか断れない。そもそも交渉が嫌いなので、簡単な事ならば、断るのに労力を費やすよりもさっさと済ませてしまおうと考えるのだ。競技は徒競走。もちろん走るのは嫌いだが、早く走れば早く終わるし、選手はおばちゃんばっかりだし、負けたらカッコ悪いのでまじめに走ることにした。まじめに走っていたら、ゴール付近で右足から異音がした。痛かった。骨折していた。その晩はもちろん採集には行けず、皆が飲み会に出かけ、もぬけの殻になった宿で、私はひとり痛みに苦しみながら考えた。採集に出て、採集中に怪我するのは仕方がない。事故に遭うのもまあいいとしよう。だが、何が哀しくて運動会で骨折せねばならんのか。これはカッコ悪い。そうだ、採集中の事故ということにしよう。そんなわけで私の骨折の理由は秘匿された。時が立つうち何人かには話してしまったが、私が2011年の爬虫両棲類学会において、なにゆえギプスをはめておったのかについて、知らぬ人も結構いるはずである。その真相をこの場において告白する。皆さん、運動会には気をつけてください(H.S.)。